M YATAKE
矢岳真幸の脇道・寄り道・まわり道
鉄道懐古篇

circle東武伊勢崎線
小学生になって興味の対象は東武伊勢崎線になった。当時東京郊外には団地が続々と出来た。2DKという言葉がモダンに聞こえる時代だった。東京北部のそんな団地の一つに引っ越した。当時の東武のスターはDRC(1720系)だった。またまた乗りたくなったが、乗せてもらえなかった。また白帯の特急(1700系)も三角の標識板を付けて走っていた。小窓がずらりと並ぶ側面が格好良く見えDRCよりも軽快だった。

当時東武特急のテレビコマーシャルがあった。東武のデラックスロマンスカーで日光へ105分とか何とか言っていたように思う。BGMはトランペッターの休日、ガラスドアとジュークボックス、楽しそうにくつろぐ若者、そして走行シーンが子供の目を画面に釘付けにした。DRCへの欲求はますます掻き立てられた。

東武の普通列車は78系と8000系で、塗色はベージュとオレンジという冴えない色だった。そこへ日比谷線が部分開通してマッコウクジラこと営団3000系が颯爽と乗り入れてきた。ピカピカのステンレスカーは新車の臭いとヒューンと言う独特の駆動音が未来を予感させた。野暮ったい東武線の中ではまさに掃き溜めに鶴だった。

いつだったか小学校の遠足で足利へ行ったことがある。どこをどう巡ったかは全く記憶にない。ただ渡良瀬川の河原に下りて苔でぬるぬるした石に足を滑らせ、びしょ濡れになったことだけははっきり覚えている。遠足とか修学旅行など今までに行った団体旅行での全ての立ち寄り先の記憶はほとんどないから不思議だ。多人数で行動すると、特に学校の行事などは一方的に管理される立場にあるし拠点間直行型の行動なので自分の興味の対象の観察に集中できないのだ。

伊勢崎線で遠方へ行ったのは初めてだった。電車に乗るのが嬉しかったせいか、いくつか覚えていることがある。群馬県内に入ってからだろうか複線分の用地なのに単線の線路だった。利根川の鉄橋も複線分あったが線路は単線だったように思うが、あるいは記憶違いかも知れない。電車は78系でたぶん準急だったろう。釣掛式モーターを唸らせ相当スピードを出していた。途中短尺レールの区間があり、せわしくジョイントを刻んで走ったのを記憶している。

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