山手線と京浜東北線 |
当時は山手線を「やまてせん」と呼んでいたように記憶している。戦前は「やまのてせん」と呼ばれたそうだが、いつの頃からか「やまてせん」になり、その後再び今度は正式に「やまのてせん」になった。根岸線にある山手駅との混同を避けるためらしい。だが私は今でも「やまてせん」または単に「やまて」と呼んでいる。私にとってはこのほうが親しみやすい。秋葉原を「あきば」と言うのと同じ感覚だ。 山手線の電車が茶色から黄色(カナリア色)になった頃、京浜東北線はまだ旧型の73系で、側面窓上あたりに細長い「京浜東北」の標識を付けていたのが印象に残っている。この標識板は現在交通博物館に展示されている。また、いくぶんスマートな全金車も交じっていた。その後山手線は鴬色になって。だいぶ経って京浜東北線もスカイブルーに替わった。 昔から不思議に思っていたのが京浜東北、北行線にある田端のトンネルだ。「なんであんなところにトンネルがあるんだろう」と山手線の車窓から見る度にそう思っていた。いつかあそこを通りたいとも思ったが京浜東北線に乗る機会は全くなく、親にせがんでも連れて行ってもらえなかった。トンネルを潜るために電車に乗るなどということは大人の発想ではないのだろう。ここを初めて通ったのはそれから十数年後である。やっと念願が叶ったが子供の頃ほどの感動はなかった。 また近くに貨物線のトンネル(中里トンネル)もあるのだが、こちらは直通電車が出来たとき早速乗りに行った。大人になってからなので特に感激もしなかった。今では当たり前のように通勤電車が通っている。 |