池袋の踏切と山手貨物線 |
池袋の近くの明治通りに六又ロータリーというのがあった。立体化されたが現在でもある。その先に山手貨物線の踏切があり、踏切番がいて開閉の操作をしていた。ここは貨物線旅客化の時に立体化された。当時の貨物列車は長かったので一旦踏切が閉まるとなかなか開かなかった。上下両方から来るときなど10分以上待たされた。又ここはトロリーバスも通っていてそのための架線があったが、架線は踏切の部分では途切れていてトロリーバスはディーゼルエンジンで走行した。 貨物列車は茶色の大型電機に引かれ、雑多な貨車が50両くらいは繋がっていた。ほとんどの貨車は黒かったが、白い冷蔵車も混じっていた。カルテックスの奇妙なマークを付けたタンク車もあった。ガソリンスタンドにも同じマークがあったのを覚えている。季節によっては屋根に雪を乗せているものもあったが雪国から来たのであろうか。たまに機関車だけが通過することもあった。単機回送というやつだろうが子供のころは貨車もないのに機関車だけ動かすことが不思議でならなかった。 池袋には広大な貨物ヤードがあって、いつも貨車が停まっていた。目白、大塚、巣鴨などの小駅にも貨物ホームがあって、ここにも貨車が停まっていた。山手線の電車に乗っていて隣の貨物線に列車が来ると嬉しくなった。貨車の数を数えた。ワム、ワラ、トム、トラ、は多かったせいか良く覚えている。もちろん意味など知る由もなかった。今の子供も同じ様な事をやっている。いつの時代も子供のやることは同じ様だ。しかしこれはコンテナの数だが・・・。 話が山手線の電車よろしく一巡して山手貨物線に戻ってきたところで、昭和30年代の記憶もネタが尽きた。おあとがよろしいようで。 |