東武鉄道モハ1400形
1963年夏。
東京の北の外れにある名刹。境内は広く一角には参詣客の見せ物であろうか幾つかの金網の檻には孔雀や兎などの小動物が飼われ、さながら小規模な動物園の様を呈していた。その奥には小ぢんまりとした雑木林があって、木々の端を掠める様に単線の線路が通っている。レールは強い日差しに輝いて、時折如何にも古びた電車が鈍重な音を響かせ往復していた。
山門を出ると石畳の狭い参道が続き、その両側には雑多な店屋が所狭しと軒を連ね、店頭で煎餅を焼く香ばしい匂いが漂っている。暫く歩くと埃を立てながらバスが通う道に出る。参道はここで終わり更にもう少し砂利道を行った先に駅が見えてくる。その前には小さな広場があるが閑散として静まり返り、黒い鉄枠にエメラルドグリーンの樹脂を嵌め込んだ屑物入れがこの場所唯一の彩りだった。
昭和初期に開業以来のものと思しき古い駅舎は、屋根が深くその下に窓を連ねた平屋建てで、アーチ状にデザインされた正面玄関が洒落ている。軒先には「大師前駅」の電飾看板が掲げられていた。改札を抜けすぐに左へ折れて数段の低い階段を昇るとプラットホームで、正面5枚窓の厳つい面構えの電車が既に扉を開けて待っていた。
駅構内は相対式ホームの構造で周囲が建て込んでいない所為もあってか広々と感じられる。住宅街に浸食されながらもまだそこかしこに田園が残されていた。線路はホーム終端から少し先で一本に収束し更に100メートル程だろうか伸びたところで途切れた。その行く手を住宅が遮り、如何にも行き詰ったという風情だった。
この時既に新たな道路計画があり、この線路が駅諸共消える運命にあった事など知る由もなかった。
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大正型の2連。簡素な座席や灯具を装備。
当時の東武大師線は大正型の2連が運用されていた。大正14年系モハ1400形と大正15年系クハ220形で室内ステップ撤去、プレスドア交換、テールライト埋め込み等近代化改装がなされている。モハについては鮮明な画像があるがクハはその形態から形式を推測、車番は不明ながらこの模型ではモハと揃えてトップナンバーとした。
製作記事は別稿にしました。併せてご覧ください。東武鉄道モハ1400形の製作
モハ1400は下り方に連結されていた。
相棒はクハ220、着物の裾を捲ったような軽快なスタイル。
.こちらの記事も併せてご覧ください。大正生まれの東武電車