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1983年 北海道

1983年秋、僕は初めて北海道へ行った。目的は廃止間近なローカル線に乗るためである。僕はそれらがどんなものなのか知りたかった。そしてその最期の姿をこの目で確かめてみたかったのだ。この時以来僕は日本全国のローカル線に乗りに行った。廃止の期限に追い立てられるように各地を巡った。

(本文中の写真は全て筆者撮影、また列車時刻は1983年10月の時刻表によるものです)


-1- 青函航路 113.0km (1988年3月13日廃止)

 1983年10月17日(月)、上野発19時10分。青森行103レ急行「八甲田」で青森を目指す。列車はEF58+12系客車9両の編成。薄汚れた車体が見るからに侘しく、この列車の境遇を物語っているかのようだ。一番先頭の9号車自由席、車両中程の進行方向右側のボックスに座を占める。車内は思ったよりすいており七、八分の入りと言ったところで、このボックスも僕一人に貸し切りだ。発車のベルに続いて甲高い汽笛、列車は静かに滑りだした。これから一路北へ向かう。青森までは約11時間かかる。

 宇都宮でロコが別のEF58に替わり、黒磯からはED75が先頭に立つ。ホームに降りて付替作業を眺める。
 約5時間で仙台に到着、駅構内が一際眩しい。日付は既に10月18日、ここで乗客の約半分が入れ替わった。ボックスシートに座り詰めなので早くも腰が痛くなってきた。この調子では先が思いやられる。


Aomori station
小雨に煙る早朝の青森駅

 八戸を過ぎたあたりで空が白み始め、暗緑の針葉樹林が浅靄に霞んでいる。案内放送が再開され車内が少しざわつく。ひといきれで窓ガラスが曇る。
 浅虫付近で海がちらりと見え、青森に到着。6時15分、定刻。窮屈な座席から開放され、痛む腰を擦りながらホームに降り立つと吐息が白い。途中下車して駅舎の写真を撮ってから連絡船待合室へ行く。オフシーズンにしては案外と客が多い。テレビが朝のニュースを流している。乗船までまだ少し間があるので売店を見物した。

 青函連絡船23便の案内があり、客が一群となって乗船口へ向かう。僕もその後に従った。乗船口で旅客名簿の緑色の紙片を係員に渡す。入口両脇に警官と公安職員が立っていて何やらものものしい気配だ。乗客の中に凶悪犯でもいるのだろうかと思うとあまり良い気持ちはしない。階段を昇ってグリーン船室乗船口から乗船する。船室の入口で指定券を見せると、船員が座席まで案内してくれた。なかなかのサービスぶりだが、指定席の乗船客は5、6人しかいなかった。急行「八甲田」での11時間で痛めつけられた腰や尻に、少々古ぼけてはいるが一人掛けのリクライニングシートは有難い。旅行前からそれを予想して指定席を予約したのだ。

 ドラが鳴り、7時30分青森港を出港。船長の案内放送によると、今日は風が強く多少揺れるそうだ。荷物を棚に置き船内見物に行く。先ずグリーン船室自由席を覗いてみたがこちらもガラ空きだ。階下の普通船室は乗客も多く売店も賑わっている。カーペット桟敷席では子供が大声で泣いていたりして騒がしい。グリーン船室の静寂とは対象的だ。次は案内所へ行く。狭いカウンターには3人の係員がいた。彼らは国鉄マンにしては垢抜けており船は一味違うなと思う。カウンターの隅に置いてある二種類の記念スタンプをノートに押した。緑色のインクでこの船が十和田丸であることを教えてくれる。だが両方とも日付が昨日のままだった。



Aomori ferry pier
今はなき青森桟橋と青函連絡船

 船内を一回りして席に戻る。エンジンの低い唸りだけがグリーン船室に響いている。船は右に下北、左に津軽の両半島を見せながら北進する。風のせいかひどく揺れる。船酔いなどはしないほうなのだが、過去の大惨事を思い出し少し不安になったのも手伝って気分が悪くなってきた。気分転換にデッキに出る。冷風が強く吹きつけて5分とは立っていられない位だが、それでもどうにか半島の写真を何枚か撮った。が、その時船が大きく横揺れして足をとられ身体がよろけた。何とか手摺にしがみついて事なきを得たが、もう少しで海中へ投げ出されるところだった。肝を冷やして船室へ戻る。

 その後も気分がすぐれず何度かデッキに立った。そのデッキ上で僕は向こうにもカメラを下げた青年がいるのに気づいた。彼も気づいたらしくこちらへ来てニコニコしながら話しかけてきた。彼もやはり「八甲田」で来たそうで、そう言われてみれば上野駅のホームでそれらしき人物を見かけたような記憶もある。二言三言交わして別れた。

 津軽半島が後方へ去り、今度は松前半島が前方に霞んでいる。この辺りが津軽海峡の丁度真中らしく、船の揺れは一段と激しくなった。まるで遊園地の乗り物のようだ。下北半島も視界から消えやがて赤茶けた陸地が大きく迫ってくると、揺れもどうやらおさまった。山々が眼前に迫りドックの建物やクレーン、倉庫などがはっきりと見えてくると、船はスピードを緩めた。いよいよ函館だ。船内に古臭いポピュラー音楽(ミスターロンリー等)が数曲流れ、案内放送があると乗客は各々支度をはじめる。船は港内でぐるりと向きをかえ接岸した。約4時間、やや長いようではあるが充実した船旅だった。他の乗客に混じって出口へ歩く。北海道への第一歩だ。陸地へ踏み出す時、思わず心の中で呟いた。「はじめのいーっぽ」


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