シリーズ

1983年 北海道
-9- 幌内線 18.1km (1987年7月12日廃止)
万字線 23.8km (1985年3月31日廃止)

10月25日(火)、今日はまず札幌6時28分発522Mで岩見沢へ向かう。北海道へ来て初めて乗る電車は711系だ。一週間ほど前にディーゼル特急で通った区間を、各駅に停車しながら進む。このあたりの駅の感じは東京近郊の中央本線、三鷹−立川間に似ている。近代化が進み橋上駅舎やコンクリートの跨線橋になったせいだろうが、その分個性には欠けるきらいがある。昨日の天気が嘘のように晴れわたり、陽の光がまだ融けきらぬ雪に反射して眩しい。


Ikusynbetsu station
道内でも歴史のある駅だった幾春別だが

7時20分、岩見沢着。少し時間があるので途中下車して北海道風の立派な構えの駅舎の写真を撮る。これから幌内線を幾春別へと向かうわけだが、昨日の砂川とは違って今日は列車の接続が非常に良い。

 7時45分発733Dに乗る。真新しいキハ40ばかりの4両編成でローカル線にしては超豪華版だ。しかし乗客の方は一両に一、二人しか乗っていない。時間帯によって編成両数をこまめに調節すべきだと思うが、駅構内の線路配置などの関係で無理なのだろうか。もしそうでないとしたらまったくルーズな車両運用だ。岩見沢を出ると列車はまだ雪の残る丘陵地帯を単調に走った。途中これといった見所もなく8時16分幾春別に到着。折返し8時22分発734Dとなり岩見沢へとんぼ返りだ。往路と同様に空車同然の列車は8時50分、岩見沢着。

 次は9時19分発931Dで万字炭山へ向かう。サボが差し替えられ、いま乗ってきた編成がそのまま万字炭山行になる。列車は定刻に発車した。やはりこの列車もほとんど空気を運んでいるようなものだ。志文までの一駅は室蘭本線を南下する。志文で少し停車して苫小牧方面からの列車と接続し万字線へ入る。こちらも又景色は平凡だ。所々に雪の残る畑の中を走り、目の前に山が迫ると終点の万字炭山だ。10時10分着。


The train at Manji-tanzan station
静まりかえった万字炭山駅に停車中の列車

ここの駅舎は意外に大きな建物で往時の賑わいを想像させるが、現在のこの閑散とした空間には不釣合いだ。駅には出札窓口があるだけで寒々としている。ただ広いだけの屋内は物音一つしない。入場券も売っていない。

 10時17分発932Dで岩見沢へ折り返す。志文までの区間で空中に浮かぶ銀色の物体を目撃した。千歳からの飛行機かと思えるが、その飛びかたからしてそれがUFOだったと僕は今でも信じている。10時59分、岩見沢着。予定していた11時38分発の急行「紋別、はぼろ、大雪2号」の三階建て列車より一本早い11時02分発の普通550Dに間に合ったので30分程早く札幌に戻る事が出来た。11時55分、札幌着。

 これで今回の旅行での国鉄線走破は予定通り完了した。北海道内の第一次廃止対象路線には全線乗った事になる。帰京の列車まで時間があるので、これから札幌市営の路面電車と地下鉄を乗りまわす予定だ。観光などはそっちのけでただひたすらに乗り物に乗る「乗り回し」は、一般的な旅行の概念とは少しばかり性格が違うのだ。

おまけ 札幌市電と地下鉄、そして帰り道

 札幌駅を後にして市街へ出ると天気が不安定になった。例の天気雨あられ雪だ。まずは地下鉄だが、その前に腹ごしらえだ。ガイドブックに載っていた駅近くのビルの地下にあるコーヒー店へ行ってみる。入口が奥まった所にある判りにくい立地のその店で、コーヒーとホットサンドを注文した。確かにコーヒーは美味かったが、店内は狭く暗く、それに昼時とあって混雑していて落ち着かなかった。極めて印象の悪い店だ。ガイドブックもアテにならない。

The tram of Sapporo
西四丁目電停と札幌市電

さていよいよ地下鉄だ。はやる心を抑えつつ札幌駅の地下鉄乗り場へ行くが不運なことに人身事故があって、南北線は一部区間でストップしている。仕方がないので地下鉄は後回しにして先に市電に乗ることにする。少し歩いて西四丁目の電停から市電に乗った。電車は釣掛式のモーター音を唸らせ市街をゴトゴト走る。路面電車は街の様子が眺められるので楽しい。初めて見る札幌の町並みをキョロキョロ見回す。市街をコの字形に走ってすすきの着。ここで地下鉄に乗り換える。

 乗り場へ行ってみると予想通り地下鉄は運転を再開していた。先ずは南北線を真駒内へと向かう。御存知の通りこの地下鉄は鉄の車輪の代わりにゴムタイヤが付いている。勿論鉄のレールも無く列車はコンクリートの上を走る。したがって本当は「地下鉄道」ではなくタダの「地下道」だ。確かに走行音は静かだが、トロリーバスに乗っているみたいで電車という感じはしはない。これがホントのメ・トロか?!この手の乗り物はむしろ新交通システムに近いだろう。列車は途中から地上に出た。出たといっても防雪シェルターがすっぽりと覆っているので景色がみえにくい。北国ならではの設備だ。まるでSF映画の未来都市の乗り物みたいだ。終点の真駒内で下車する。地下鉄線は周遊券が効かないので降りる度に面倒でもいちいち切符を買わなければならない。一日乗車券があれば良いと思うのだが販売されていないようだ。

 北行で折り返し大通で東西線に乗り換える。新札幌行に乗った。東西線の車両は内装の化粧板に札幌名所の絵が印刷されていて楽しい。こういうアイデアが他の電車にも欲しいものだ。東西線を一往復して大通りで再び南北線に乗り換え、終点の麻生まで乗って折返し札幌で降りた。これで市営の電車、地下鉄を完全走破し(その後東豊線が開通したので完全走破ではなくなった)、北海道での目的も無事終了となった。

 札幌17時36分発、26D特急「北斗6号」函館行は2分遅れで発車したが現在は快調なスピードで走っている。車両は旧型のキハ82系で、最新鋭のキハ183系に比べると車内設備はやはり見劣りがする。それに乗り心地も悪い。列車は闇の中を突っ走る。途中千歳空港だけが暗黒の中の宇宙基地の様に明るく光り輝いていた。旅の疲れからか熟睡したらしくその後の事は全く覚えていない。気が付いたら函館だった。22時01分着、定刻。

 日付が変わって10月26日(水)、函館港0時15分出航の102便「羊蹄丸」で青森へ向かう。ゆっくりと眠りたかったのでグリーン船室自由席を奮発する。予想通りグリーン船室は空いていた。船のスタンプをノートに捺し席に戻るとすぐに眠った。ここでもまた熟睡し、目覚めた時はもう青森だった。すでに乗客が出口へ移動しているところで、丁度良いタイミングで起きたものだ。

 青森からは予定通り「はつかり」、「やまびこ」、「リレー号」とポンポンポンと運ばれて、11時27分上野着。やはり新幹線は早い、今朝青森にいたのに午前中にもう東京に着いている。雑踏の中を地下鉄の乗り場へと向かった。


 その後、北海道内の第一次廃止予定線は計画通り1985年10月までに全線が廃止となり、路線バスに転換した。生き残った線は一本もなかった。アーメン。

 1983年 北海道 完


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