マル通の時代 |
昭和30年代は私鉄でも貨物輸送が盛んだった。上板橋かあるいは中板橋であったと思うが貨車が何両か留置してあって、傍らには日通マークが大書きされた倉庫がデンとあり、同じマークをつけた黄色い大型のボンネット型トラックが何台か屯していた。道路は未舗装で雨上がりには轍の窪みに水たまりができ、トラックの大きなタイヤが濁った水を跳ね散らしていた。積み荷が何であったかなどわからないが国鉄コンテナなどというものはまだなかった。 人々は日通(日本通運)のことを赤マルに白い通の字のマークの意匠から「マル通」と呼んでいた。その当時の貨物運輸会社は日通しかなかったわけではなかろうが私は他社のトラックを見た記憶がない。あるいは黄色いトラックが駅では相当に幅を利かせていたのかもしれない。 だが不思議なことに東上線の貨物列車を見たことは一度もない。当時は蒸機牽引の貨物列車がまだあったはずだが。それ程電車に乗ったり見たりする機会があったわけではなかったせいかも知れないが・・・。 |