啓志線とグラントハイツ |
啓志線の記憶は残念ながらないのだが、私は昭和30年代中頃、練馬区の錦町にある団地に住んでいた。その近くに使われていない踏切があった様な記憶がある。また昭和40年代くらいまで、上板橋駅下り方に草茫々の空き地があった記憶があるがそれが啓志線跡だったかも知れない。その頃の東京の区分地図には啓志線が表記されていたが、いつの頃からか地図上から消えた。 池袋駅西口からはグラントハイツ行のバスが出ていた。東武バスだったように思うがあるいは国際興業かもしれない。バスの形はボンネット型バスだったように思う。また正式名称は知らないが前面窓の窪んだ顔のバスもあったように思う。このあたり記憶が定かでないが前面方向幕にグラントハイツと大書きしてあった印象がある。塗色は東武は青と濃いベージュの縞模様。国際興業は今と同じ緑の濃淡だった。大人達はグラントハイツをグランドハイツと(「ト」を濁って)呼んでいた。 |