M YATAKE
矢岳真幸の脇道・寄り道・まわり道
鉄道懐古篇

circle都電
Toden 銀座の三愛の屋上には球形の森永キャラメルのネオン広告塔が光り、不二家の店頭には大型のペコちゃん人形があった時代。あのころは東京の街中いたるところ都電が走っていた。都心部では街路毎に線路があるほど稠密に路線が張り巡らされていた。緑の電車がいつしか黄色に変わった。だがこの時代に都電に乗った記憶はない。都電とは無縁の私鉄沿線に居住していたせいかもしれない。

どこかへ出掛けるというときは途中のターミナル駅までは電車に乗るのだがそこから目的地へはタクシーを利用することが多かったように思う。ダットサンのタクシーで街や電車を眺めた記憶はある。大人は電車よりクルマを好むのか。幼児を伴って大衆的乗り物に乗るのが嫌なのか?。そういう訳でかは判らないが、路面電車にはあまり興味が湧かなかった。道路の上を走る電車には馴染めなかったようだ。乗せてくれと親にせがんだ記憶もない。

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