シリーズ

1983年 北海道
-3- 相生線 36.8km (1985年3月31日廃止)

 10月19日(水)、札幌駅4番ホーム。7時00分発網走行き特急31D「オホーツク」が入線する。キハ183系7両編成だ(この日は5、8号車欠車)。シーズンオフなので自由席でも優々と座れた。これからこの列車で一気に美幌まで直行する。可能な限り普通列車に乗るはずなのだが、昨日から特急や急行にばかり乗っている。日程の都合でこうなったのだが、この特急が済めば後は存分に鈍行列車に乗れるのだ。

 札幌を定刻で発車した列車は市街地を走る。平坦な区間なのでディーゼル特急ながら結構スピードを出す。白石までの区間は何本もの線路が平行していて、すぐ横を交流電車が並んで走っているが、こちらの方が速くたちまち抜き去った。千歳線を右に分岐して函館本線の複線区間を行く。北海道らしい広々とした景色が両窓に連続する。天気も上々でサイロや牧草地が見え、まるでプロセスチーズのパッケージのようだ。岩見沢、美唄、砂川、滝川と列車は直線の多い区間を快調に進んで行く。石狩川の鉄橋を渡り深川を過ぎると、景色は丘陵地帯に変わった。右手には先ほど渡った石狩川が沿っている。短いトンネルを何本か抜けた。

8時45分旭川着。3分停車で発車する。旭川の市街地を下に見ながら高架線を行く。旭川四条で高架区間も終わり宗谷本線が左に別れ、石北本線に入る。前方に見えていた山々が徐々に近づき、愛別を過ぎるといよいよ上り坂になる。エンジンが一段と唸りを上げるが速度は落ちる。通過する駅ごとに構内に積み上げられている原木を見る。その遠く向こうには大雪の山々が頂に雪を載せている。 上川を過ぎると沿線はうっすらと雪景色になった。北海道に来てから始めてみる雪景色だ。狭い谷底には川が細く水面を光らせている。一段と登りがきつくなり、エンジンはさらに大きく唸るが速度は上がらない。時速30キロぐらいだろうか。国道を並走する大型トラックが列車を追い抜いていった。こちらはノロノロ運転が続き、今にも止まりそうである。登りに登ってようやく石北トンネルにはいった。トンネル中程で最高地点を越え、フル回転だったエンジンもアイドルになり、惰性で徐々に加速して行く。かなりスピードが上がったところでトンネルを抜け、今度はブレーキを使いながら急坂を駆け下る。

 狭い谷間を今度は川の流れと同方向に進んで行く。列車は速度を抑えつつ下っている。通過する駅毎に駅名標に目を凝らす。名前に「白滝」の付く駅が臨時乗降場も含めて五つ連続するのだ。これを見過ごす手はない。丸瀬布を過ぎ、あたりが開けてくると遠軽ももう近い。
 列車はスピードを緩め、右手にこれから行く線路が合流した。10時51分、遠軽着。乗客が少し入れ替わった。ここで列車は向きを変え逆編成になる。僕は他の客と同様に座席を180度回転させた。5分停車して今来た方向へ発車する。再び登り坂だが、騒々しいエンジン音にももう慣れた。このあたりは駅間距離が長く、延々と林の中を走る。木漏れ日が眩しい。

 生田原を過ぎて悪名高き常紋トンネルに入る。古ぼけた石積みのトンネルポータルをくぐった。窓外の暗闇をじっと見つめたが、列車の窓明かりに薄暗くうかぶ壁以外には何も見えなかった。トンネルを出た。すぐにスイッチバックの常紋信号場がある。スノーシェードに覆われたポイントをゴトゴトと渡る。引き上げ線の脇に番小屋の様なものを見た。

 列車はスピードを上げ数駅を通過、意外に長い地下トンネルをくぐって北見に到着した。ここで大半の乗客が降り車内が急に静かになった。11時57分、北見を発車。列車は右へ大きくカーブすると、小川を渡り丘陵を短いトンネルで抜ける。天気も上々で実に長閑な風景だ。


The deasel car at Kitami-Aioi
北見相生駅に停車中のたった1両のディーゼルカー

 12時20分、美幌着。特急列車を降りた。約5時間半の乗車だったが少しも退屈しない変化に富んだコースだった。改札を出て、例によって駅のスタンプに入場券と一連の作業をこなす。駅舎や駅前の蒸機(C58)の動輪などを写真に撮っていると、タクシーの運転手が阿寒まで乗らないかと声をかけてきた。相生線を往復してくるのだと言うと呆れ顔で車に戻った。観光地よりもローカル線の魅力の方が遥かに大きいことを常人は理解しないのだ。

 相生線725Dは美幌を13時48分、定刻で発車した。たった1両のキハ22型ディーゼルカーだ。木製の床板(保温の意味もあって木製なのだが)がローカルムード満点で、乗客も3、4人。窓外を見れば一面の畑で、いかにも赤字ローカル線といった風情だ。列車に揺られながらぼんやりと外を見ていると眠気がしてくる。ついうとうとする。

 ところが大正仮乗降場で事件発生。列車が発車直後、後部デッキで小学一、二年の女の子が突然大声で泣き出したのだ。列車は急ブレーキで停車した。何事かと思って窓から顔を出してみると、しばらくして列車はホームまで十数メートルばかりバックした。どうやら降り損ねて泣いたらしい。車掌が子供を降ろしてやっている。少し遅れて発車したが列車は何事もなかったかのように走る。実にのんびりとしている。こういうところがローカル線の良さだ。窓外には相変わらず畑が連続している。



Kitami-Aioi station
北見相生駅の駅舎

 これといったものもなく少し遅れて北見相生に到着。改札口で駅員に奇異な眼差しで見られるが、下車印はすぐに押してくれるし、入場券を買うときには「何枚」と聞かれるしで、その対応ぶりに少々面食らう。最近この手の客が増えているに違いない。駅前へでてみたが「相生線廃止反対」と大書きされた立看板が目につく位で他には何もない所だ。それらを撮って15時15分発の折り返し728Dで美幌へ戻った。

 7分の接続で16時23分発網走行561Dに乗り継ぐ。車内は下校の高校生で賑わっている。車は新型のキハ40で気のせいかエンジン音も軽やかに走る(この頃のディーゼルカーのエンジンは新型車も旧型車も同系列なので同じはずだが)。夕暮れも近く、左手に網走湖の薄暗い水面が木々の間から見え隠れしている。今日も一日中列車に乗った。軽い疲労と充実感とがある。16時59分、網走着。外はもう暗く微かに潮の香がする。ここは漁港の町なのだ。

 本日の走破区間は相生線と石北本線の美幌−網走間だけで、長時間乗っていた割には記録区間が短い。ところで、北海道の日没は意外にも早く、5時過ぎにはもう暗くなってくる。そこで当初のプランを部分的に変更することにした。その結果走破距離が少し減ることになる。


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