シリーズ

1983年 北海道
-4- 東の果てへ

 10月20日(木)。窓から射込む朝日で目覚める。時計を見てハッとした。すでに10時を回っている。不覚にも寝過ごしてしまったのだ。昨晩練り直したプランを再度組み直し、急いで支度をして駅へ向かった。再変更プランでは、たぶん根室本線上のどこかで日没となり、走破記録は大幅に減るだろう。昨日の夢見が悪かった。

 釧路行の625Dはキハ40の2両編成で車内は空いていた。10時56分、定刻で発車。町並みが途切れると、左手にオホーツク海が青く広がり、白い砂浜が延々と続いている。今日も天気が良い。北浜を過ぎると右手に涛沸湖が見えてきた。左窓には相変わらず砂浜が続く。キョロキョロと両窓の景色を交互に見る。湖面が草地に変わった後は単調な風景がどこまでも続いた。

 11時48分、斜里(しゃり)着。ここで乗客がどっと増える。駅構内に根北線跡を車窓から探すが判らなかった。2分停車して斜里を出ると、列車は方向を90度変え峠へと向かう。風景は一変して一面の畑となった。地の果てまでも続くと思われた広大な畑が、やがて雑木林に替わると登り坂になる。遠くに見えていた山々が間近になった頃、緑という小駅に停った。この駅はその名のとおり緑のなかにあって、ホームの駅名標も緑色で記されている。おまけに駅舎の屋根まで緑色に塗られていて、徹底的に緑に固執しているかのようだ。

 いつのまにか峠を越え、川湯に到着。ここは観光駅らしく活気にあふれている。ここで網走行の644レと列車交換する。DD51と4両の旧型客車の編成が隣線に先着していた。この駅は対向式ホームで跨線橋はない。しかもホームを結ぶ踏切は、隣線の客車が塞いでしまっている。こちらの列車は駅舎のあるホームとは反対側のホームに停まっているので下車客がどうやって改札口へ向かうのかと思って見ていると、駅長が来て反対側の客車のドアの所に梯子をかけた。ドアはちょうど踏切の真上に位置している。客はその梯子を登り、客車のデッキを通り抜けてホームへと向かうのだ。駅長が先頭に立って案内している。こういう光景は初めて見た。

 川湯を出てから暫くは山の中を走り、弟子屈(てしかが)を過ぎて山々が後方へ去ると、左手から標津線の線路が合流して標茶(しべちゃ)に着く。ここから先は右手に湿原を見ながら進む筈なのだが、黄色く枯れた草原が広がっているだけで、湿原のイメージとは程遠い眺めだ。春になればガイドブックの写真のような緑の絨毯が見られるのであろう。この区間は明日もう一度通ることになるので、湿原はそのときまたじっくりと見直すことにして、今回は左側を主に見ることにする。こちらは雑木林ばかりで景色にあまり変化がない。所々に水溜りの様な池がある。辺りに人家が目立ち始め、東釧路から根室本線にはいり、15時09分、釧路着。乗継ぎに時間があるので途中下車してみる。

 根室行269Dは急行型ディーゼルカーの3両編成で、車内は買物帰りの客や下校の高校生で混雑している。16時05分、列車は定刻で発車したが、問題はどこまで走破を記録できるかである。日没まで時間との競争だ。列車は雑木林の丘陵地帯を快調にとばしていくが、空は次第に薄暗くなってゆく。右手に厚岸(あっけし)湾が黒くその水面を見せた頃には、辺りはかなり暗くなり水平線も判然としない。近景のシルエットが見えてはいるが、所々に見える灯の方が眩しく輝いている。景色を観るのもこの辺が限度だろう。オマケして厚岸までを走破記録と認定することにした。

 厚岸では大半の乗客が降りた。ふと外を見るとホームに弁当売りのオバサンがいる。ホームに降りて「カキめし」があるか聞いたが、「うりきれ」と素気無い返事。「厚岸のカキめし」には呆気なく振られた。時間帯も悪かったのだろう。昼頃までに来なければ購入は無理であろうと思われる。次回ここへ来たときには是非「カキめし」にありつきたいものだ。幻の駅弁にはしたくない。
 最後尾の一両を切り離して、17時07分、厚岸を発車。列車は闇の中をひた走る。使い古した車両の窓からは隙間風が入ってくる。今日は釧網本線という大物をやっつけた。長大路線ではないにしても本線と名の付く線を全線走破したのだ。しかし朝寝坊のおかげで根室本線が途中でチョン切れてしまったのが残念だ。

 先ほどからずっと窓外を眺めているのだが、どこにも灯が見えない。そこにはただ漆黒の闇だけがある。さすがは北海道だと感動するが、時間がやけに長く感じられる。仕方がないので時計と時刻表とを照らし合わせ、今どの辺を走っているのかを確かめて終点までの駅数を数えてみるが、これが意外にも多いのに驚く。この時だけは終着が待ち遠しかった。
 19時10分、根室に到着。とうとう日本の東端の都市にたどり着いたのだ。客も疎らな改札口を通って外に出ると、風が強くとても寒い。まだ十月の下旬だというのに真冬のような寒さだ。最果ての町にきたのだと肌で実感した。灯もなく暗い道を今夜の宿へと向かった。


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