シリーズ |
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標津線 116.9km (1989年 4月29日廃止) 白糠線 33.1km (1983年10月22日廃止) |
10月21日(金)、一番列車に乗るため、早朝5時前に起きる。手早く支度を済ませ宿を出た。ひと気の無い町を駅へと向かう。空はすでに明るくなっているが風が冷たい。
5時27分発264Dは6両編成で、前2両が釧路行、中間の2両が中標津行で、後ろの2両は回送扱いとなっている。中標津行の車両に乗り込む。時刻表1983年10月号に中標津行併結の記載はないが、この車が厚床から標津線の351Dになるはずで、乗り換え無しで直通できる。
根室を発車すると程なく東根室に着く。ここが有名な日本最東端の駅で、簡素なホームにそれを表示するポールが立ってはいるが無人駅だ。列車は朝日をいっぱいに浴びて走る。左窓には防砂林が続き、それが途切れると白っぽい崖が見え、その下に青い海が広がりを見せる。一方右窓に目をやると、牧場があり、線路際で乳牛が草を喰んでいる。遠くにはサイロや牛舎が小さく見える。そういう風景が緩やかな起伏を伴って連続する。しばらく走って列車は駅に停車する。少し停まってから発車するとまた同じ景色の中を走る。それを何度も繰り返しながら目的地へと向かう。太陽が徐々に空の高いところに登っていく。
6時24分、厚床着。まず後部2両が切り離された。9分停車して、6時33分、釧路行の2両を駅に残し、今度は351Dとなって発車する。進行方向が逆になって標津線に入る。
列車は白樺林と牧場を交互に見せながら、丘陵地帯を登り下りのんびりと走って行く。時速40キロ位だろうか。それほどの急勾配でもなさそうだがやけにノロノロと走る。下り坂でスピードが乗ってきたかと思うとブレーキをかけ、登り坂ではまたエンジンをふかす。簡易線の線路規格なので速度制限があるのだろう。景色の方は申し分ないがイライラするほどノロい。
林を抜けるとぽつんと駅がある。駅とは言ってもホームだけの簡素な無人駅で辺りには家一軒あるわけでもないが、そんな駅に停るたびに高校生が次々と乗り込んでくる。無人地帯のようなところなのでちょっと不思議な感じがする。車内はにぎやかになってくるが、同じ様な景色が続くのと今朝の早起きとで眠気を催す。何度となく舟を漕いだ。
7時39分。ようやくといった感じで中標津に着いた。47.5キロを1時間15分かかっている。表定速度は38km/hだ。ここで乗り換えて今度は標津線の残り区間にはいる。駅は通勤通学客で思ったより混雑していたが、東京のそれとは比較にならない長閑な朝のラッシュアワーだ。
根室標津行321Dは5分遅れて中標津を発車した。この列車もやはりノロノロと走る。左手に知床へ続く山々が連なっている。途中2駅に停まって終点の根室標津に着く。駅前へ出てみるが閑散としている。ただ広いだけで何もない所だ。入場券、駅のスタンプと予定の作業をこなす。駅舎の写真を撮り忘れる。
8時41分発4326D釧路行で折返し、中標津から今度は標茶への線路を辿る。今度は右手に連山を見るが、それ以外には時々停車する簡素な駅と林と畑と草地の連続で相変わらず単調な風景が続く。平地なのでトンネルも鉄橋もない。よくもこう同じ景色が続くものだと思う。スピードは相変わらずノロノロで再び睡魔が襲ってくる。やがて右手の山並みが後方に遠ざかると、右側に昨日通った釧網本線の線路が寄り添う。二本の線路が暫く並行して、10時41分標茶着。ここで急行「しれとこ1号」に併結されて列車番号も611Dに変わる。標茶を発車するとスピードがぐんと上がった。今までの鈍速が嘘のようだ。再び湿原をじっくりと観察するが、やはり黄ばんだ原っぱが続くだけで、時期はずれの湿原の様子はよく判らない。
11時50分釧路着。鉄道案内所で駅のスタンプを発見。早速ノートに捺す。駅で白糠線廃止記念切符を売っていたが、高価な割には面白くなさそうなのでやめておく。
簡素なホームだけの北進駅 |
いよいよこれから今回の旅行のメインテーマともいえる白糠線へと向かう。12時20分発新得行でまずは白糠へ。車内は白糠線目当ての客で相当に混雑している。後部の白糠止まりの車に席を見つける。新型のキハ40だ。左手遠くにコンビナートが見え、その屋根やタンクが銀色に輝いている。その一群が視界から消えると遠くに海が見えた。水平線が白く眩しい。今日も朝から頗る天気が良い。
13時10分。白糠に到着。ここで白糠線に乗り換える。いま乗ってきた車が切り離され、北進行のサボが差し込まれた。少し時間があるので途中下車して駅前の店で昼食をとる。その店内で地元の人が話していたのだが、明日の白糠線最終日にはこの線始まって以来、最初で最後の10両編成が走るというのだ。その時は我が耳を疑ったが、後日そのことはテレビニュースで報道されていた。
白糠線北進行の車内は鉄道ファン、テレビクルー、地元住民などで超満員だった。さながら白糠線フィーバーである。こうした廃止線ブームが始まったのもこの白糠線からだ。13時03分、白糠を発車。北進へと向かう沿線の景色は平凡で、山間をのんびりと走る。並行する道路をテレビ局のワゴンが猛スピードで走って行く。どうやら列車の先回りをするらしいが、全くの交通規則無視である。一方車内では取材合戦が繰り広げられている。東京のテレビもきていた。地元のおっさんが「汽車に乗るのはこれが最初で最後だべェ」などとインタビューに答えている。
ざわついた列車は14時03分、北進に着いた。駅とは名ばかりの狭く短い簡易ホームがあるだけの所だ。外に出て写真を撮る。他にも大勢のファンが同様に写真を撮ったり草むした線路の終端付近を歩いたりしていた。この空しき馬鹿騒ぎも明日が最後だ。
北進駅の駅名標 |
折返し534Dとなって14時47分、北進を後にした。記念に車掌から車内補充券を買った。空いている席を探して車内をウロウロしていると誰かが声をかける。振り返ると青函連絡船で会った青年だった。彼もやはり白糠線に乗りに来ていたのだ。僕はその隣に座る事ができた。それにしても偶然とは面白いものだ。話によると急行「八甲田」から一緒だったそうで、そういえば上野駅のホームでそれらしき人物を見かけたような気がしなくもない。また彼は有名な某レイルウェイライター氏とも知り合いだとの事であった。そんな話をしているうちに白糠に着いた。青年とはここで別れた。次は7分の接続で404D急行「狩勝」に乗り継ぐ。ここから先は今日の終点帯広まで急行に乗るので走破記録の方は白糠までとなる。
「狩勝」は15時22分、予定通り白糠を発車した。列車は快調に飛ばしている。この付近は海岸沿いに走っているはずだが、海はそれほど見えない。厚内を過ぎて左手にちらりと見えた海が遠ざかり、列車は右へ大きくカーブして林の中に入って行く。真正面遠くに日高の山脈が黒いシルエットを見せ、オレンジ色の空をバックに太陽が赤い玉となって山の向こう側へ沈んで行く。今日は太平洋の朝日で始まり日高の夕日で終わろうとしている。そのほとんどの時間を汽車に揺られた。充実した一日だったと一人思う。列車は夕暮れの山道を今日の宿泊地帯広へと向かっている。旅程もこれで半分を消化した事になる。