シリーズ |
-6- | 士幌線 78.3km (1987年3月22日廃止) |
10月22日(土)、今朝はタイフォンの音に起こされた。時計を見ると5時35分だ。急いで身支度を始める。ステーションホテルの部屋の窓からは、真下に帯広駅の広い構内が見渡せる。朝もやの中を数両の赤いディーゼルカーが移動している。今日は士幌線の一番列車からスタートだ。
6時10分、721D糠平(ぬかびら)行は定刻で発車した。車両は旧型のキハ22だ。車内は高校生が数人乗っているだけで閑散としている。帯広の市街地を抜け十勝川の鉄橋を渡ると、列車は広大な畑の中を北へ向かって走る。黒色の土の上に白く霜が降りている。所々に数本ずつかたまって立つ木々も寒そうだ。今朝はだいぶ冷え込んでいる。途中駅に停車する度に高校生が続々と乗り込んで静かだった車内に活気が出てくる。その若い熱気で窓ガラスがたちまち曇った。それを手で拭っては外を見る。
士幌で生徒達が皆降りてしまうと、車内には再び静寂が戻った。いつの間にか畑も雑木林に変わり両側には徐々に山が迫ってくる。エンジン音が一段と高まりゆっくりと坂道を登って行く。下の方に川が細く白い線を描いている。
ガランとした糠平駅 |
狭い谷が迫り糠平ダムが右窓にちらりと見えた。短いトンネルをくぐって7時58分糠平着。ここから先、十勝三股まで線路はあるが列車はない。腕木式の出発信号機にばつの字に板が打ち付けてある。静かな駅を後にして名物の代行バスに乗り換える。バスとは言っても地元タクシー会社のマイクロバスだ。運転手に周遊券を見せて乗り込む。乗客は僕を含めて四人で、様子からして全員がこのバスに「乗りにきた」客だ。
運転手がカセットテープの音楽を流し車を出す。同乗の関西から来た中年氏と奈良の学生と話したが、思ったとおりこの二人も「乗りにきた」組だ。あとの一人はむっつりして話にのってこない。国道は途中から砂利道になってバスは砂埃を立てて走る。たまに原木を積んだ大型トラックとすれ違う。右手に今は列車の通らない士幌線のアーチ橋が見えている。
バスが砂利をはね飛ばしながら坂道を登って行くと、暫く走って急停車した。何事かと思って路肩に目をやるとキツネがちょこんと座ってこちらを見ている。キタキツネだろうか。テレビ等で見るものよりはずっと目付きが鋭く、体は薄汚れた感じだ。運転手が何やらエサの入っているらしい包を放り投げてやると、キツネはそれを口にくわえて足早に林の中に消えた。まさかこんな所でキツネにお目にかかるとは思ってもみなかったので、少し得をしたような気分になる。
バスは再び走りだした。運転手の話によると、あのキツネは他の車が通っても出て来ないそうで、このバスの時だけ顔を出すとのこと。なかなか面白い話だ。右手に見え隠れしていた糠平湖の水面が途切れ、それから暫く進んだ所で右に折れた。幌加駅前まで行くのだ。その寂しい駅前で2分停車する。幌加の駅舎は廃屋同然で、駅近辺もゴーストタウンのようだ。乗降客などいる筈もないのにわざわざ駅に寄り道をして行く。それがこの代行バスの建前なのだろう。もっとも趣味的にみれば面白くはある。だいたいこのバスの存在自体が建前なのだ。これが国鉄の体質か。国道まで引き返し更に北へと進む。途中営林署のジープと一度すれ違っただけで、車など皆無だ。この付近の人口密度はゼロに近いだろう。
十勝三股に到着。ここは本当に何もないところだ。廃屋が何軒かあるだけで生活感など全く無い。打ち捨てられた駅舎と、山中の終端駅にしては広いがすっかり草むした構内とを見る。錆び付いた給水塔やターンテーブルが無残に放置されている。同様にどのレールも黒く変色し枯草の中に埋もれていた。鳥の声と微かな風の音だけが聞こえてくる。林の向こうには頂に雪を載せた裏大雪の山々が見え、その姿だけが印象に残った。
廃墟と化した十勝三股駅、バックには裏大雪の山々が美しい |
8時50分。十勝三股を後にしてバスは糠平へ折り返す。今度はキツネも出てこなかった。糠平で帯広行724Dに乗り継ぐ。この列車は糠平を出ると、下り列車が通過する電力所前仮乗降場に停車し、次の黒石平駅を通過する。上りと下りで駅を使い分けているのだ。10時46分、帯広に到着。ここで関西の二人と別れた。中年氏は空路大阪へ帰り、学生はこれから白糠線へ行くそうである。ところでこの北海道旅行の後、僕は思わぬ場所でこの学生と再会する事になる。
次は10分の接続で930D新得行に乗り、新得で後続の422レに乗り継ぐ予定。422レは客車列車だ。新得での乗継ぎなどしないで最初から422レで行けば良さそうなものだが、また実際に客車列車の方が好きなのでそうしたいのだが、422レは途中羽帯を通過してしまう。なるべく多くの駅に停車したいので930Dで先行するする事にしたのだ。新得で途中下車もできる。
10時56分、新得行きは定刻で発車した。朝から曇りがちだった空が途中で雨になった。列車は十勝平野の広大な畑の中を走って行く。遠くに見えていた山並が近づいて12時05分、小雨の新得に着いた。途中下車して駅付近の店で昼食をとり、駅に戻って後続の422レを待つ。しかし予定の時刻になっても列車は来ない。遅れているようだ。次に乗り換え予定の富良野では7分の接続なのでそのことが心配になる。
10分以上遅れて列車は到着した。DD51に荷物車4両旧型客車3両という編成だ。再後尾のスハフ42に乗る。結局14分遅れで新得を発車、狩勝越えにかかる。暫く走ると右側に旧線跡が現われる。その錆び付いたレールを見おろしながらどんどん坂を登って行く。線路跡がかなり下の方になり列車が左に大きくカーブすると、今度は左車窓から十勝平野が遠くにぼんやりと広がって見える。雄大な眺めだ。この区間は線路がS字状に敷設されているのでヘアピンカーブを曲がりきると十勝平野が反対側の窓に移り、いま走って来た線路がはるか下の方に見える。
列車は途中いくつかの信号場に停りながら新狩勝トンネルを目指す。車掌がすぐそばの座席に来て、信号場に停るたびに窓を大きく開け、身を乗り出して信号を確認する。冷えた山の空気が車内に吹き込む。「422、発車」車掌が手に持った無線機で機関士に出発合図を送っている。しばらくして甲高く長い汽笛の後に列車はゴトリと動き出す。
坂を登りつめ長いトンネルに入った。新狩勝トンネルだ。わくわくしながら石勝線との分岐点を待つ。新狩勝トンネルはトンネル内で石勝線が分岐しており、一つのトンネルに出入口が3つあるという変わり種なのだ。その様子をじっくりと眺めてやろうと思う。やがて列車はスピードを緩めた。ポイントの通過音がトンネル内に響く。列車は分岐点の信号場で一旦停止し、例の合図で発車する。再びの音響。窓に顔を近づけて見ていると石勝線の線路が左へ別れて行くのが見え、間もなくトンネルを出た。左前方に今別れた石勝線の線路が続くのを目で追った。
列車は谷間を下って行く。遅れているためにダイヤとは違う駅で対向列車と交換する。急行列車が停車するはずのない駅で待避していたりする。途中で見えた金山湖も高いダムサイトを持つ金山ダムも雨に煙っていた。列車は空知川と並行しながら坂道を快調に駆け下りて行く。が、遅れの方はそれほど取り戻してはいないようだ。その後富良野では乗り換え予定の列車に接続する旨案内があり一安心する。
8分遅れで富良野に到着。列車を飛び降りると急いで跨線橋を渡る。富良野線ホームの発車ベルはすでに鳴っていて乗り換え客を急き立てている。慌てて富良野線のディーゼルカーに飛び乗った。混雑している車内にやっと席を見つけて座る。それから一、二分して列車は動きだした。これなら何もホームで駆け出す事はなかった。迷惑な発車ベルである。
富良野線634D旭川行は約3分遅れで富良野を発車している。車両は新型のキハ40だが、どのローカル線でもこの型の車を見かける。新型ディーゼルカーも随分両数が増えたものだと思う。雨は相変わらず降り続いていて、人いきれで曇った窓ガラスに無数の水滴を叩き付けている。おかげで景色が良く見えない。蒸し暑い列車は16時29分、美瑛に着いた。ここで14分間停車する。上富良野ですでに遅れを取り戻し定刻で運転されているが、雨空はもう暮れかけている。早く発車してもらいたいと思いながら、じっと発車を待つ。
頭に「西」の付く駅が四駅連続する区間にさしかかった頃には辺りはだいぶ暗くなっていた。派手なイルミネーションを点灯させたトラックが並走している。旭川ももう近い。17時17分、旭川着。雨が小止みになった。乗り換えに時間があるので駅のスタンプと入場券だ。本日の走破記録はここ旭川までなので、今夜は旭川泊まりとしたいところだが、明日道北のローカル線に回る都合上今夜中に名寄(なよろ)まで行かねばならない。
18時34分、305D急行「宗谷」は旭川を定刻で発車した。これからもう一走りだ。列車は猛スピードで雨の中を突っ走る。外はもう真っ暗だ。すぐそばのボックスには中年女性のグループが陣取っている。彼女達は飲み、喰い、かつ大声で喋った。僕は騒音の中で本を少しづつ読みながら時の過ぎるのをじっと待った。19時44分、名寄に到着。件のグループ客もここで降りた。例によって駅のスタンプを捺し、入場券を買う。外に出ると雨はもう上がっていた。 ひと気の無い濡れた道を今夜の宿へと向かった。