シリーズ

1983年 北海道
-7- 美幸線  21.2km (1985年9月16日廃止)
興浜北線 30.4km (1985年6月30日廃止)
興浜南線 19.9km (1985年7月14日廃止)
渚滑線  34.3km (1985年3月31日廃止)

10月23日(日)、朝6時過ぎに宿を出る。駅への道はまだ乾ききっていない。それにしても昨夜は寒かった。もちろん宿には暖房が設備されているが、それでも寒かった。今朝も空気は冷えきっている。天気も悪い。

 名寄発6時25分の335Dに乗る。車内は空いている。この列車は普通列車だが美深までは快速運転で、途中二駅しか停車しない。なるべく多くの駅に停車する主旨からすれば、残念だがこの区間は記録外とするしかない。発車のベルが鳴ってドアが閉まる。しかし列車はなかなか動き出さない。どうなっているのかと思っていると、暫くして車掌が後ろの車両からやって来た。そして目の前の客席で寝ている男を揺り起こしている。男は目を覚まし起き上がると急いで運転室へ駆け込んだ。運転士だったのだ。

 やっと発車した列車は慌てるように速度を上げ、手塩川沿いに北上して行く。寒々とした針葉樹林の中を30分走って、6時55分美深に到着した。今乗ってきた列車の後ろ1両が切り離され、美幸線のホームへ据え付けられる。どうやらこれが仁宇布(にうぷ)行になるようだ。時間があるので途中下車する。今日はこれから乗る美幸線をはじめ、道北の盲腸線を一気にやっつける予定だ。

 7時05分発921D仁宇布行は定刻で発車した。東美深、辺渓(ぺんけ)と次々に停車。その次はもう終点の仁宇布だがここから先の駅間距離が長い。単行のディーゼルカーは時々渓流を見せながら山間を走った。思ったより景色が良い。ところでこの列車の乗客だが、僕の他には明らかに鉄道ファンと思われる若者が三人と地元のおじさんが一人だけで、実質的な用務客はそのおじさんだけだ。日曜日の朝とはいえこれほど乗客が少なくてはこの線の存続も難しそうだ。


Niupu station
乗降客などほとんどいない仁宇布駅

 7時35分、列車は静かに仁宇布に到着した。これで美幸線完乗。窓口で入場券を買い、そばの小机の上の駅スタンプを捺す。驚いたことにそのスタンプは鎖で繋がれていなかった。改札口のところには「なるべく往復切符をお求め下さい」と記されている。線区別に営業係数が計上されるがための増収対策だろうが果してどれだけの効果があるのだろうか。狭い待合室には最近流行の落書きノートが備えてあった。そのページをぱらぱらとめくってみる。文面からすると若い連中が結構来ていて、その中にはチャレンジ2万キロ組もいるようだ。

 外に出て駅舎の写真を撮る。空は相変わらずどんよりと曇っている。こぢんまりとした建物には人影もなく、閑散としているせいもあってうすら寒い。駅構内を見渡してみると、レールは駅の少し先で途切れているものの、路盤はその先も完成していて今すぐにでも線路が敷けそうだ。しかし折角造った設備もこの線が廃止になれば、未完成のまま棄てられてしまうのであろう。全く無駄な事をしている。計画性の無さに呆れるばかりだ。

 折返しの8時05分発922Dで美深へ戻り、337D稚内行に乗り換える。この列車は音威子府(おといねっぷ)で宗谷本線経由と天北線経由とに分割されるので、後部の天北線経由の車両に乗る。

 美深を定刻の8時43分に発車。手塩川を左手に見ながら針葉樹林の中をさらに北へと進む。林の向こうには低い山々が連なり、灰色の雲が空を塞いでいる。変わり映えのしない風景が延々と続く。
 9時21分、音威子府に到着。ここで30分程停車し、その間に列車は二つに切り離される。宗谷本線経由が9時51分に先発して、この天北線経由は725Dと列車番号を変え、9時56分に発車。列車は再び林の中を単調に走る。このところ毎日朝が早いせいか眠くなってくる。列車の揺れと車内の暖房が心地良く、ついうとうとする。ハッと気付くと二駅程先へ進んでいることもる。慌てて目を擦り景色に見入る。しっかりと景色を見ておかなくては記録にならない。

 両窓に見えていた林が開け景色が牧草地に変わって、11時19分、浜頓別着。ここでまた乗り換えだ。今日は乗り換えが多い。駅の待合室は思ったより活気に溢れていた。いままで寂しい列車ばかりに乗って来たので何となく嬉しくなる。

 ベンチに座って次に乗る列車の改札を待っていると、見知らぬ白人の青年が日本語で話しかけてきた。「チョット、ジカン、アリマセンカ」この男、どうやら宣教師のようだ。教会へ誘われるが、列車待なのでそんな時間がある訳もなく、そう言うと次に何処から来たのかと尋ねてくる。東京からだと言うと彼は懐かしそうな表情をしてみせた。見知らぬ国の見知らぬ土地での布教活動は寂しかろう。


Kitami-Essashi station
北見枝幸駅、やはりここも、ひと気がなく寂しい

 今度は興浜北線、925D北見枝幸行に乗る。11時43分定刻で発車。暫くは草地の中を行くが豊牛あたりから左窓にオホーツク海が広がった。これから先はたっぷりとオホーツク海を眺められる。斜内を出て暫く走ると小高い所を通る。前方には大きな岩山が迫ってきた。列車は垂直に近い絶崖にへばり付く様にして走って行く。今まで並行していた道路が崖下になり、その路肩は波打ち際だ。線路は更に高さを増した。こんな場所で落石でもあったらひとたまりもない。乗っていてひやひやする。列車は神威岬の一段と切り立った断崖を回り込む様にして走り抜ける。その突端で空がぐっと迫る。「絶景かな絶景かな」という台詞が頭をよぎった。オホーツク海を眺めながら更に南下して12時29分北見枝幸着。

小さな駅を後にして駅前の道を海へ向かってまっすぐ歩く。この先に本当にバスターミナルがあるのだろうかと不安になるような活気のない小さな町だ。風が冷たく、時折小雨がぱらついたかと思うと晴れ間がのぞいたりする不安定な天候だ。10分ほど歩くと右手にスーパーマーケットがあり、その一角がバス待合室と事務所になっていた。その横手には駐車場があり大型バスが何台か停っている。ここがバスターミナルらしい。待合室の椅子に腰掛け、壁に張られたバスの時刻表と案内とを見る。表の中にこれから乗る予定の便を確認して一安心。

 12時50分、雄武行バスは七、八人の乗客を乗せ枝幸のターミナルを後にした。寂しげな商店街を右折して国道へ出ると左窓にはオホーツク海が広がる。道路は海岸のすぐ近くを通っているので、列車の時よりも海が間近に見える。バスは乗降のある停留所だけに停る。客が一人二人と入れ替わる。閑散とした車内をぐるりと見渡すと、美幸線で見かけた少年が乗っている。僕と同じ列車を乗り継いで来たものと思われるが、他の乗客も途中停留所での乗降客以外は、様子からして全員がレールファンのようだ。おそらく終点まで乗り通す地元の客はいないだろう。バスは途中の主要停留所で数分の時間調整をしながら運転されている。乗降客が少ないのでダイヤに余裕があるのだ。すれ違う車もほとんどなく、この国道がバス専用道路であるかのようだ。オホーツク海だけが車窓唯一の味付けだ。

 音標を過ぎた。この辺りから右窓にも注意を払う。思ったとおり所々に興浜線になるはずの完成した路盤が見える。未使用のまま野ざらしになっている立派なコンクリート橋や築堤を目の当たりにすると気が塞ぐ。不安定な天気のせいかもしれない。バスは汐の香に包まれて走った。


Ohmu station
雄武駅、盲腸線の終端駅はどこも裏寂しい

 雄武(おむ)到着。ほぼ定刻である。雄武駅は国道に程近い所に位置している。標準的な構造の小さな駅舎だ。列車との接続に1時間以上あるのでゆっくりと付近を観察出来る。駅前のラーメン屋で大判焼きを買ったら、カウンターでさっきの少年がラーメンを啜っていた。大判焼きは1個60円と安く、餡もたっぷり入っていてとても美味かった。

 15時20分、822Dで定刻に雄武を出る。古びたキハ22に揺られながらオホーツクの続きをゆっくりと眺めながら進む。列車が海岸から離れ右に90度カーブすると興部(おこっぺ)に到着。15時50分。丁度30分の乗車で、興浜南線は呆気なく走破した。

 ここから先は非常に接続がよい。16時01分発名寄本線627Dで渚滑へ向かう。これもまたキハ22。海を眺めて16時28分、渚滑着。

 ここで乗り換え、今度は16時34分発の渚滑線727Dで北見滝ノ上へ向かう。列車は夕暮れの渚滑川を右窓に見せながら走る。車内はいくつかのボックスが埋まっているもののしんと静まりかえっている。この車も古いキハ22で、良くみるとどういう訳か座席番号標が全部取り外されてる。

 平凡な山の景色が暗闇と同化して、17時29分、北見滝ノ上着。いかにも田舎の終端駅といった感じのする薄暗い駅には、他の下車客が去った後も、日曜日なのに下校途中らしい制服姿の女子高校生が数人いた。外に出るとあたりはもう暗く、残念ながら駅舎の写真は撮れなかった。ストロボの用意はしていない。無人の改札口に下がった裸電球の黄ばんだ光がとても物悲しく見え、それだけが強烈に印象に残った。

 折返しの17時39分発730Dで紋別へ向かう。この列車は名寄本線直通の紋別行だ。ガラ空きの車内にエンジン音だけが響く。今日の走破記録は北見滝ノ上までとする。一日で4本の盲腸線その他にまとめて乗ったのだから上々の成果だ。18時41分、紋別着。


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